9.11

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アメリカ同時多発テロ事件
2001年にアメリカで発生した同時多発テロ攻撃事件
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アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん、英: September 11 attacks)は、2001年9月11日にイスラーム過激派のテロ組織アルカーイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃[4][5][6]。9.11事件(きゅういちいちじけん)や911(きゅういちいち)と呼称される場合もある[7][注釈 1]。

アメリカ同時多発テロ事件

最上段:旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンター
2段目左:ペンタゴンに突入した痕跡
2段目右:2機目の旅客機が激突し爆発炎上するワールドトレードセンター
3段目左:崩壊後のワールドトレードセンターと生存者の救出活動を行う消防士
3段目右:ユナイテッド航空93便の残骸
最下段:ペンタゴンに突入する瞬間を捉えた映像のコマ
場所
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク(1度目と2度目)
バージニア州アーリントン(3度目)
ペンシルベニア州シャンクスヴィル(4度目)
日付
2001年9月11日(火曜日)
8時46分 - 10時28分
東部夏時間 (EDT)
標的
ワールドトレードセンターの北棟と南棟(第1・2)
アメリカ国防総省本部庁舎(第3)
第4の標的は不明(合衆国議事堂かホワイトハウスと推測されている)。
攻撃手段
ハイジャック、自爆テロ
死亡者
2,996人(被害者2,977人+実行犯19人)[1][2][3]
負傷者
25,000人以上
容疑者
アルカーイダ(#テロの実行者も参照)
動機
アメリカ軍のサウジアラビア駐留、アメリカの親イスラエル政策等(#動機も参照)
テンプレートを表示
一連のテロ攻撃による犠牲者は日本人24人を含む2,977人[9][10]、負傷者は2万5000人以上にのぼり、さらに少なくとも100億ドル(日本円で約1兆5750億円)のインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたるPTSDを含む健康被害が発生した[11][12]。アメリカの歴史上、最も多くの消防士と法執行官が死亡した事件である(殉職者はそれぞれ343人と72人の計405人[13])。

また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争・イラク戦争が勃発し、世界規模での対テロ戦争が始まった。その犠牲者数は450万人に及ぶという[14]。テロの実行者である、イスラーム過激派テロ組織「アルカイダ」と、その指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンへの指名手配が行われ、徹底した捜索・追及が行われた。

目次
概要

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2001年9月11日(火曜日)の朝、アメリカ合衆国北東部の空港から西海岸に向けて出発した旅客機計4機が、イスラム原理主義過激派アルカーイダのメンバー計19人にハイジャックされた。

ワールドトレードセンターへのテロ攻撃
アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機はニューヨーク州ニューヨークのワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に向かい、8時46分(日本時間11日21時46分)にアメリカン航空11便がノースタワー(北棟)に、9時3分(日本時間22時3分)にユナイテッド航空175便がサウスタワー(南棟)に激突した。
南棟はハイジャック機の突入から56分後、北棟は1時間42分後にそれぞれ倒壊し、それに伴う衝撃と火災は7 ワールドトレードセンタータワー(47階建て)を含むワールドトレードセンター内の全ての建物への一部または全体への破壊を引き起こしただけでなく、周囲10ヵ所の大型構造物にも甚大な損傷を与えた。
ペンタゴンへのテロ攻撃
3機目のアメリカン航空77便は、9時37分(日本時間22時37分)にバージニア州アーリントン郡のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に激突し、建物の西側を部分的に倒壊させた。
未遂に終わったテロ攻撃
4機目のユナイテッド航空93便はコロンビア特別区に向けて飛行していたが、乗員乗客がハイジャック犯の制圧を試みた結果、10時3分(日本時間23時3分)に、ペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落した。
ワールドトレードセンターおよび周辺のインフラへの破壊は、ニューヨークの経済に深刻な打撃を与え、世界市場にも大きな影響を与えた。米国とカナダの民間空域は9月13日まで封鎖され、ウォール街は9月17日まで閉鎖された。

捜査の結果、アルカーイダの指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに疑いを向けたアメリカは、テロから約1か月後の2001年10月、有志連合諸国と共に軍事作戦を開始した。アフガニスタンを攻略し、同国からのアルカイダの放逐と、ビン・ラーディンの身柄引き渡しに応じなかったタリバン政権を同年11月に事実上崩壊させた。ビン・ラーディンは当初、事件への自身の関与を否定していたが、2004年にテロ攻撃の責任が自らにあることを認めた[15]。

アルカイダとビン・ラーディンは、アメリカのイスラエル支援やサウジアラビアへのアメリカ軍の駐留・幼児50万人が犠牲になったといわれるイラクに対する経済制裁などをテロの理由に挙げた[16]。ビン・ラーディンはテロから10年近く捕捉を逃れ、パキスタン国境付近に潜伏していたが、テロから約10年後の2011年5月2日、アメリカ軍の急襲により殺害された。アメリカ軍は彼を生きた状態で拘束したが、12歳の彼の娘を含む、家族の目の前で射殺したという[17]。

ワールドトレードセンター周辺跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。1 ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まり、2014年11月に開業した[18][19]。ニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルベニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建立された。

ハイジャックされた旅客機

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ハイジャックされた4機の飛行ルート
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系の集団によりほぼ同時にハイジャックされた。

ハイジャック犯たちは操縦室に侵入し、操縦士を殺害した後、自ら操縦し、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク州ニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた[20][21]。

ハイジャックされた4機はいずれも米ボーイング社製で、ボーイング767とボーイング757が2機ずつであった。これらの機体は運用する航空会社の操縦士に互換性を持たせるため、操縦室の操縦システムは基本的に同一であり、いずれも2人のみで操縦できるため、これらの機体が運行されている便が意図的にハイジャックの対象機として選ばれたものと考えられている。

また、実行犯のリーダー、モハメド・アタをはじめとする一部のハイジャック犯たちは、事件前にアメリカ合衆国内にある民間の航空学校(ホフマン飛行機学校[22])で小型機の自家用操縦免許を取得した後、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている[注釈 2]。

これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であったのは、長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者もいる。なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している[23]。

アメリカン航空11便
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アメリカン航空のボーイング767-200ER (N334AA) アメリカン航空11便の飛行経路
アメリカン航空のボーイング767-200ER (N334AA)
アメリカン航空11便の飛行経路
→詳細は「アメリカン航空11便テロ事件」を参照
ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(AA011;ボーイング767-200ER・機体記号N334AA)は、乗客81人(日本人1人を含む)・乗員11人を乗せ、8時00分頃にローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルス国際空港に向かった[24][25]。

その後、11便は8時14分頃に始められたハイジャックにより、コックピットを乗っ取られた[26]。11便は8時27分に進路を南向きに変え、8時46分にニューヨーク・ロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンター・ツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発・炎上した[26][27]。

角度、速度ともに浅い離着陸時の事故と違い、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった[注釈 3]。さらに機体の破片の一部は、タワーを貫通して反対側に飛散したほか、タワー内部へ落下した[28][29]。これらによって、タワーを支える構造材の一部が破壊された[30]。AA11便は、衝突時におよそ10,000ガロン(約38,000リットル)のジェット燃料を搭載していた[31]。

9/11委員会の報告書によると、衝突の瞬間に数百人が死亡した[32]。ノースタワーでは衝突部より上層階からの脱出経路が全て破壊されてしまった[33]。92階から上の階段の吹き抜けとエレベーターが通れなくなり、1,344人が閉じ込められた[33]。閉じ込められた人たちは火災の熱と煙により、そしてその後のタワーの崩壊に巻き込まれ命を失った[32]。激しい高温や煙に逃げ場をなくし、タワーから飛び降りて亡くなった人が200人にものぼった[32][34]。地上での死者数は、約1600人とされる。

11便がWTC北棟に衝突する瞬間は、ニューヨーク市消防局Ladder Company[注釈 4]はしご隊の取材をしていたフランスの映像作家、ノーデ兄弟によって撮影されていた[35]。また、ホームビデオや定点カメラにも写り込んだ映像が存在する[36]。

ユナイテッド航空175便
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ユナイテッド航空のボーイング767-200 (N612UA) ユナイテッド航空175便の飛行経路
ユナイテッド航空のボーイング767-200 (N612UA)
ユナイテッド航空175便の飛行経路
→詳細は「ユナイテッド航空175便テロ事件」を参照
ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(UA175;ボーイング767-200ER型機・機体記号N612UA)は、乗客56人・乗員9人を乗せ、8時14分にローガン国際空港を離陸し(アメリカン航空11便でのハイジャック発生とほぼ同時)、ロサンゼルス国際空港に向かった[37][38]。

8時42分頃、UA175便のパイロットは離陸直後に耳にした不審な内容の無線(ハイジャックされたアメリカン航空11便からの無線だった)について管制官に報告したが、それから8時46分までの間にUA175便もハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた[26]。

その後、UA175便は8時58分にニューヨークへ進路を変え、9時03分にWTC・ツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発・炎上した[26][27]。

死者数は、UA175便と南棟で約700人となった。 南棟では北棟の爆発を受けて多くの人が避難を開始していたため、人的被害は北棟よりも少ないが、先に突入を受けた北棟より早く南棟が崩壊している[39]。

11便とは異なり、175便の突入時には既に多くの人に事態が認識されていたことから、突入の瞬間の映像や写真が多数記録されている[40]。なお、105階にいたエーオン副社長のケビン・コスグローブ(英語版)(南棟の崩壊時に死亡)が、南棟が崩壊する瞬間まで911番へ電話で状況を伝えていた音声が録音されており[41]、この録音はザカリアス・ムサウイの裁判において証拠として用いられた[42]。

アメリカン航空77便
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アメリカン航空のボーイング757-200(N644AA) アメリカン航空77便の飛行経路
アメリカン航空のボーイング757-200(N644AA)
アメリカン航空77便の飛行経路
→詳細は「アメリカン航空77便テロ事件」を参照
ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(AA077;ボーイング757-200:機体記号N644AA)は、乗客58人・乗員6人を乗せて、8時20分に出発した。

8時50分頃までにハイジャックされコックピットを乗っ取られた。直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、その後通信不能となった。

そして9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)西側に激突し、爆発・炎上した。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録されており、また付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって、機体が降下し激突する瞬間が目撃された。

映像によると、ほぼ水平の状態で地面を滑走しながら、勢いよくペンタゴンに衝突していた。一般的な離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。当時、ペンタゴンの突入階の半分が改装工事中で使用されていなかった。地上での死者数は125人、負傷者数は106人で、もし改装工事中でなければ、犠牲者数はWTCのそれを上回っていたと推測される。

10時10分、ペンタゴンのうちの被害を受けた部分から上の階が崩壊した[43]。崩壊した部分は最も広い場所で95フィート (29 m)、最も深い場所で50フィート (15 m)にもなった[43]。衝突から崩壊までの時間が、4階と5階にいた全員が崩壊の前に安全に避難することに繋がった[44]。崩壊の後、内部の火の勢いは激しくなり、建物の全フロアに拡がった[45]。

ユナイテッド航空93便
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ユナイテッド航空のボーイング757-200 (N591UA) ユナイテッド航空93便の飛行経路
ユナイテッド航空のボーイング757-200 (N591UA)
ユナイテッド航空93便の飛行経路

ユナイテッド航空93便の墜落跡
→詳細は「ユナイテッド航空93便テロ事件」を参照
ニューアーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(UA093;ボーイング757-200、機体記号N591UA)は、乗客37人(日本人1人を含む)(乗客37人中4人はテロリスト)・乗員7人を乗せ、滑走路の混雑により定刻より42分遅れの8時42分に出発した。

乗客の機内電話からの通報によると、9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。

9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。10時03分、93便は490ノット(563マイル毎時 (906 km/h))の速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.から北西240キロメートル (150 mi)の場所)に墜落した[46]。離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。なお、地震計のデータから墜落の時刻を10時06分と公式記録と異なる報告がなされたが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。

乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に「Let's Roll.(さあやろうぜ・よし、皆かかれ)」を合図にしたといわれている。この「Let's Roll」は、9・11事件以降のアフガニスタンでの「報復戦争」において一種のスローガンとして用いられた[47]。

9・11事件の調査委員会は乗客は操縦室内に進入できなかったと結論づけているが[26]、一部の遺族はCVR音声に乗客が操縦室に進入した証拠が記録されていると主張している[48]。なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を元にした映画『ユナイテッド93』が2006年に公開された[49]。


アメリカン航空11便がツインタワー北棟に突入した瞬間
ワールドトレードセンターでの被害

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ユナイテッド航空175便がツインタワー南棟に突入した瞬間

各旅客機のツインタワー両棟への突入の様子

自由の女神の背景で炎上しているツインタワー
→「ワールドトレードセンターの崩壊」も参照
北棟への攻撃
8時46分40秒、ハイジャックされたアメリカン航空11便がワールドトレードセンター北棟 (1 WTC) の北面、93 - 99階の部分に衝突した[24][50][51]。衝突によってハイジャック機のジェット燃料が引火したことで北棟の高層階では爆発的な火災が発生し、また燃料がエレベーターシャフトを通じて落下したことで地上ロビー等の低層のフロアでも爆発が起こった[50][52]。衝突から間もなく火災と黒煙は周辺階に広がり始め、8時52分には、過酷な状況に耐えかねて高層階から飛び降りる人々も現れた[53][54]。この時点では、北棟への航空機の突入は(テロ攻撃ではなく)事故であるとの見方が大勢を占めていた[55]。当時の大統領ジョージ・W・ブッシュも第一報を受けて「これはパイロットエラーによる事故だ」と発言した[56]。
南棟への攻撃
ワールドトレードセンターに突入したAA11便とUA175便の図および飛散した部品の落下位置の概略図
ワールドトレードセンターに突入したAA11便とUA175便の図および飛散した部品の落下位置の概略図
9時02分59秒、ハイジャックされたユナイテッド航空175便がワールドトレードセンター南棟 (2 WTC) に突入し、南棟は爆発炎上した[57]。ハイジャック機は機体を傾けながら南棟の南面、77 - 85階の部分に衝突した[58]、これによって南棟が負った構造的ダメージは北棟と比較してより深刻だった[39]。2機目のジェット機が南棟に衝突した瞬間は既に多数の報道カメラが記録を始めており、一般者も含めた数多のカメラによって様々な角度から捉えられた[40]。この時点で、一連の出来事が事故ではなく故意に起こされた攻撃であることが広く認識された[55][56]。9時37分、ハイジャックされたアメリカン航空77便がペンタゴンに突入し[59]、9時42分に連邦航空局 (FAA) はアメリカ合衆国大陸部内の全ての民間航空機を離陸禁止とし、すでに飛行中の民間機にはただちに近隣の空港に着陸するよう指示した[26]。
ツインタワーの倒壊
9時59分、ユナイテッド航空175便の南棟突入から56分後、ワールドトレードセンター南棟が火災により崩壊した[60][61]。その直後の10時03分11秒、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州で墜落した[62]。10時28分、アメリカン航空11便の北棟突入から1時間42分後、南棟に続きワールドトレードセンター北棟が崩壊した[60][61]。
ワールドトレードセンターのツインタワーは、航空機の衝突による大規模な構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱で構造部材(鉄骨柱・床トラス部材等)の強度が著しく低下したことでタワーが崩壊したと考えられている[63][64]。アメリカ国立標準技術研究所の報告書によれば、火災によるダメージは(ジェット燃料ではなく)主にオフィス内の可燃物(書類など)によるものであり、それらの可燃物が火災を増長しなければ、ツインタワーは崩壊を免れていた可能性がある[65]。ツインタワーは、建設当時に世界最大のジェット旅客機であったボーイング707が突入してもビルは崩壊しないよう設計されていたが、漏れ出したジェット燃料とそれによる大規模火災の影響は設計上考慮されていなかった[63]。日本の鹿島建設は事件の翌年にWTC建物内部の損傷・崩壊について独自のシミュレーションを実施し、タワーの崩壊が火災によるものであることを裏付けた[66]。
周辺ビルの被害
北棟の崩壊時の瓦礫が隣接する7 ワールドトレードセンタービル (7 WTC) に降り注ぎ、7 WTCは損傷し、さらに火災が数時間にわたって発生、ビルの構造的健全性は失われ、8時間35分後の17時21分、7 WTCも倒壊した[67][68]。7 WTC以外にも、ワールドトレードセンター・コンプレックスと周辺の多くのビルが壊滅的な被害を受けた。全壊した施設には聖ニコラス聖堂も含まれていた[69]。1 WTC(北棟)、2 WTC(南棟)と同様に、3 WTC(マリオット・ワールドトレードセンター(英語版))と7 WTCは跡形もなく破壊された。
4 WTC(英語版)、5 WTC、6 WTC(英語版)(合衆国税関ビル)、ウエスト・ストリートを渡る2つの横断歩道橋は激しく損壊した。リバティ・ストリートを隔てたドイツ銀行ビルは部分的に損壊し、2007年に始まった解体作業で取り壊された[70][71]。
ウエスト・ストリートを隔てたワールドフィナンシャルセンターの2棟のビルもダメージを被った[70]。ワールドトレードセンター・コンプレックスの地下にはPATHトレインのワールド・トレード・センター駅が位置していた。しかしツインタワーの崩壊時、この駅は完全に破壊され、この駅からハドソン川の下を通ってニュージャージー州ジャージーシティのエクスチェンジ・プレイス駅へ向かうトンネルが水没した。またトンネル内の光ファイバーやレール・配管[注釈 5]なども水没の影響により使用不可になり、2002年2月 - 2003年11月まで全交換の修復作業が完了するまで、当路線は使えなかった[72]。
北棟の崩壊により、北棟の屋上に設置されていた通信アンテナも破壊された。一時的に多くのTV局・ラジオ局の放送が断絶したが(WCBS-TVのみがエンパイアステートビルにバックアップ用の通信装置を持っていた)、それらの放送局はすぐに別ルートでの通信を確立し、放送を再開することができた[69][73]。
その他
ワールドトレードセンターの敷地における火災は、テロ事件から100日後の12月20日にようやく鎮火した[74]。この事件以降、ワールドトレードセンター・コンプレックス跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」や「ワールドトレードセンター・サイト(跡地)」とも呼ばれている。
人的被害
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ブルックリン側から見たツインタワー南棟 (2 WTC) の崩壊
ワールドトレードセンター (WTC) へのテロ攻撃による死者数の合計は2,763人だった。その内訳は、事件当時WTCに居た民間人が2,192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっている[75]。

WTCのツインタワーにおける民間人死者の90%以上は、ハイジャック機による衝突を受けた階以上のフロアで発生した[76]。

北棟
北棟ではハイジャック機のタワー衝突時に数百人が即死したほか、直撃を受けた階以上のフロアに1,355人が閉じ込められ、火災等で発生した煙の吸引・タワーからの落下・最終的なタワーの崩壊などの理由によってその全員が最終的に死亡した[50][76]。
北棟の3つの非常階段はアメリカン航空11便の衝突の際に全て破壊されてしまい、上層階から地上へ人々が脱出することは不可能だった。一方で、(北棟において)直撃を受けた階より下のフロアで死亡した民間人は大幅に少ない107人とされている[76]。
南棟
南棟で死亡した民間人は計630人であり、北棟の半分以下の数字だった[76]。南棟では、北棟へのジェット機突入の直後から多くの人々が自主的に避難を開始していたため、死者の数は大幅に抑えられた[77]。一方で、南棟へのハイジャック機の突入時には78階のスカイロビー(英語版)でエレベーターを待っていた数百人に及ぶ避難者の多くが死傷した[58]。
『USAトゥデイ』は、最初のジェット機突入後に南棟に居た全員を避難させることができなかったことを、「事件当日に起きた大きな悲劇のひとつ」と評している[78]。また、南棟では衝突7分前に避難の中止を呼びかける館内アナウンスが流れたことや、1階エントランスにいた警備員に避難を制止されたことにより、一度始めた避難を中止してオフィスに戻り犠牲になった者もいた[79][80]。
南棟では、ユナイテッド航空175便の衝突の後も非常階段の1つ(A階段)が崩壊を免れており、この残ったA階段を利用することで18人(直撃を受けた階から14人、それより上の階から4人)が生還した[81]。
エレベータの停止
ハイジャック機の衝突によって北棟・南棟ではエレベータが停止し、多くの人が閉じ込められた[注釈 6]。『USAトゥデイ』の推定では、最小で200人、最大で400人がツインタワーのエレベータに閉じ込められた状態で死亡したとされている[82]。エレベータに閉じ込められたものの、そこから自力で脱出した生還者は21人のみだった[82]。
エレベータにおける死者は、ハイジャック機が建物に衝突の際にケーブルの破断によるエレベータ籠の急落下や、エレベータへのジェット燃料の火炎侵入によって死亡しており、それらの被害を免れた者も最終的なタワーの崩落時に全員死亡した[82]。

NASAが宇宙から撮影したテロ攻撃の様子[83]

上空から見たWTC跡地(2001年9月17日撮影)

テロから12日後の破壊された上空からのワールドトレードセンター周辺跡地の航空写真(2001年9月23日撮影)
転落と飛び降り
ツインタワーからの転落もしくは飛び降りによる死者は、最低でも200人と推定されている[84]。そのほとんどが北棟で発生したものであり、南棟からの転落・飛び降りによる死者は12人にも満たなかった[84]。
北棟から落下した人々の多くは、タワーに隣接する道路や広場(トービン・プラザ)および3 WTCビルの屋上にたたきつけられて死亡した[84]。消防士の1人はタワーから落下してきた人の巻き添えとなり死亡した[84]。
従業員の被害者
北棟の101 - 105階を占めていた投資銀行のキャンター・フィッツジェラルド(英語版)では、他の雇用主を大きく上回る658人もの従業員が犠牲となった[85]。キャンター・フィッツジェラルドの直下、北棟の93 - 100階を占めていたマーシュ・アンド・マクレナンでは358人の従業員が犠牲となった[86][87]。テロから17日後に撮影されたワールドトレードセンター跡地。現場周辺では大型の建設車両が瓦礫の撤去作業を行っている。
テロから17日後に撮影されたワールドトレードセンター周辺跡地。現場周辺では大型車両が瓦礫の撤去作業を行っている(2001年9月28日撮影)
南棟の98 -105階を占めていたエーオンでは、175人の従業員が犠牲となった[88]。
被害者数の推定
アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) は、事件発生当時のワールドトレードセンター・コンプレックスには約1万7400人の民間人が存在したと推定している。港湾公社のターンスタイルによる記録では、8時45分には(通常は)1万4154人がツインタワー内に存在したことが示唆されている[89][90]。
ジェット機が直撃した階よりも下のフロアに居た人々は、その大半が安全にタワーから避難することができた[91]。
倒壊による死者数
ツインタワー南棟の崩壊時、当時南棟に居た民間人・消防士・警察官は全員死亡し、タワー周辺の道路やビルでも多数の死者・負傷者が生じた[92]。
北棟の崩壊時には、12人の消防士、1人の警察官、および3人の民間人が崩壊を免れた非常階段に守られる形で生き残ったが、それ以外の生存者はいなかった[93][94]。
救助活動
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炎上するワールドトレードセンター北棟・南棟から市民を救助するため、ニューヨーク市消防局は過去に例のない大規模な動員を行い、200以上(全体の約半数)の消防部隊が現場に派遣された[95]。また、多くの非番の消防士も自主的に救助活動に参加した[95]。

ニューヨーク市警察は緊急出動部隊 (ESU) を含む多数の警察官を救助のために動員したほか、航空隊のヘリコプター3機を現場に派遣したが、北棟・南棟からのヘリコプターによる救助は炎と煙による極端な悪条件により不可能と判断された[96]。その他、港湾公社警察所属の警察官も多くが救助活動に参加した[96]。

消防隊やヘリコプターは9時00分までに現場に到着し、救助を試みていた[58]。

ペンタゴンでの被害

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アメリカン航空77便が国防総省本庁舎に突入した瞬間の映像

炎上する国防総省本庁舎と突入したアメリカン航空77便の破片
→詳細は「アメリカン航空77便テロ事件」を参照
9時37分45秒、ハイジャックされたアメリカン航空77便(AA077; ボーイング757)が、バージニア州アーリントン郡のアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に突入した[59]。

アメリカン77便はビルの西壁に衝突して爆発炎上し、AA077便の乗客・乗員全員が死亡したほか、ペンタゴンに居た125人の国防総省職員(民間人70人、軍関係者55人)が死亡、106人が重傷を負った[97][98]。

AA077便の衝突と続いて、発生した火災によってペンタゴンは激しく損傷し、ビルは部分的な倒壊が発生した[99]。ペンタゴンに突入する直前、旅客機の翼は地上の街灯をなぎ倒し、さらに発電機に接触した[100][101]。

77便はペンタゴン西側外壁の1階部分に激突したが、衝突の瞬間にボーイング757の胴体前部はバラバラになり、その後一瞬のうちに機体中央部と尾翼部が勢いを保ったまま外壁を突き抜けた[102]。最も深くまで到達したのは尾翼部の破片であり、5層ある外壁のうち3層を突き破り、94 m内側まで貫通していた[102][103]。

その後10時10分には、衝突で損傷したビルの一部分が倒壊した[104]。ビルの倒壊部分は最大で幅29 m、奥行き15 mにわたった[105]。77便の衝突からビルの崩壊まで時間的猶予があったため、4 - 5階に居た職員は全員が安全に避難することができた[106]。

旅客機の突入時、ペンタゴンでは約1万8000人が働いていたが、この数字は1998年に始まった施設の改修工事によって、通常より4,000人ほど少なかった[107]。もし、改修工事がなければ、死者数はさらに多くなっていたと推測されている。

この直前に起きたワールドトレードセンター・ツインタワーへの他の飛行機の突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単にペンタゴンが爆発炎上したというだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言され報じられた。さらに激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、すぐにFBIによって回収、捜査された。

なお、22年後の2023年に、当時ワシントンEBRIの客員研究員をしていたため、アメリカ国防総省に隣接するマンションに居住していた武内和久(現:北九州市長)が、このテロ直後の様子を目撃したことを、当時の画像入りで公表している。なお、武内はテロ発生当時はマンション外に出ていたため無事であった[108]。

当日の対応

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防空状況
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テロ当日は北アメリカ航空宇宙防衛司令部 (NORAD) の年に一度行われる訓練の日であり、東海岸から離れた場所で万全の防空体制で訓練に当たっていたはずだった。しかし連邦航空保安局からアメリカン航空11便ハイジャック発生の第一報が入ったのは8時40分頃で、マサチューセッツ州のケープコッド南西部にあるオーティス空軍州兵基地[109]からF-15戦闘機2機がスクランブル発進したのは事故から6分後の8時52分だった。

スクランブル発進したF-15はアメリカン航空11便を追跡するよう命じられたが、発進した時AA11便はすでにツインタワー北棟に突入した後だった。管制室はユナイテッド航空175便を追跡させているという認識だったが、状況の把握が不十分で、パイロットも何を追跡しているか認識できていなかった。同機は一旦ロングアイランド湾で待機するよう命じられ、ニューヨーク上空への進入を命じられたのはUA175便がツインタワー南棟に突入した後だった。しかしF-15には旅客機攻撃の権限が無く、突入を止めることは不可能だったとされる(進路妨害は可能だったという指摘もある)。

ワシントンD.C.には、ノースカロライナ州上空で訓練していたF-16戦闘機3機が呼ばれたが、飛来したところで基地への着陸待機を命じられた。3機はアメリカン航空77便の追跡を命じられ再度離陸したが、元々訓練中だったために燃料が不足し始め、うちの2機は訓練用の模擬弾しか装備していなかった。9時30分に別のF-16が3機発進し、ワシントン近くに飛来したが、これらには攻撃用のサイドワインダーAAMが装備され、旅客機撃墜の権限が与えられていた。しかし、結局AA077便(アメリカン航空77便)に合流することはなく、9時38分にペンタゴンへの攻撃の阻止には至らなかった。

オハイオ州上空を飛行していたユナイテッド航空93便の付近で、積荷の搬送を行っていたC-130輸送機が、管制官からUA93便を捕捉するように命じられた。C-130はUA93便墜落の際、17マイル (27 km) 離れた所に位置していた。

ノーラッドから10時6分にスクランブル発進命令があった2機のF-16が発進したのは10時16分だった。別の2機のF-16が93便を追跡していたという話もある[要出典][注釈 7]が、公式な発表にはない。さらに事故から約10分後に現場のはるか上空を戦闘機らしい航空機1機が通過するのを目撃された。ノーラッドは連邦航空局から93便墜落の報告を受けたのは10時15分で、10分近く93便の追跡を続けさせていた。

連邦航空局がアメリカ合衆国中の全ての空港の閉鎖の措置を決定したのはワールドトレードセンターへの2度目の突入の直後からで、9時42分に全米の空港からの民間機の離陸が禁止され、飛行中の民間機は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。民間機の飛行禁止は3日間にわたり、常に5,000機以上が飛んでいた航空機がアメリカ上空、そしてアメリカが管制を担当する空域から姿を消した。

アメリカ政府首脳の動き
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エマ・E・ブッカー小学校で連絡を行うブッシュ大統領

大統領専用機内でチェイニー副大統領との連絡を行うブッシュ大統領
テロ攻撃から8時間後、アメリカ国防長官のドナルド・ラムズフェルドは「ペンタゴンは機能している」と宣言
本事件の発生当時、43代合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュはフロリダ州に滞在していた。当日は教育政策の成功をアピールするために同州サラソータにあるエマ・E・ブッカー小学校の授業を視察し、午後にはワシントンD.C.に戻って共和党議員とのバーベキューが行われる予定だった[注釈 8]。

1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう専用車の車中にいたが、このときは(多くのメディアが速報した様に)単なる航空事故だと考えていたとされる。ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。また補佐官ら周辺も同じように事故と考え、予定通り小学校へ入った[要出典]。

授業視察中に2機目のツインタワー突入があり、数分後、ブッシュ大統領がアンドリュー・カード首席補佐官から2機目の突入と「合衆国が攻撃されている可能性がある」との報告を受けたが、ブッシュは「無駄な動揺を与えないために」との理由ですぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞き続けていた。朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を褒め、直ちに隣室で補佐官と話し、電話でコンドリーザ・ライス国家安全保障担当補佐官と州知事に連絡した。

その後、テレビカメラで「アメリカが攻撃を受けた」と小学生の前で国民へ呼びかけ、9時30分頃に小学校から車列とともに出発、3マイル (5 km) の所にあるサラソータ・ブレーデントン国際空港へ向かった。

9時55分に、大統領専用機「VC-25」が目的地を決めないまま離陸、滑走路上に不審者が居るとの情報があり地上からの攻撃を避けるため直後に急上昇した[110]。大統領補佐官は「殆ど垂直に上昇していた」と振り返っている。また、不審者情報は間違いであった。この時点では護衛の戦闘機は無かった。国内上空には未だに連絡の取れない旅客機が11機あったが、管制の指示で地上に降ろすだけではなく空港に居る航空機の離陸を中止し、国内空域は大統領専用機とアメリカ軍用機だけになった。航空管制からは自由に飛行してもよいとの許可があり、機長が行き先を尋ねた際に大統領はワシントンを指示した[110]。

アンドリュー・カードは国民に声を伝えるべきと進言したが[110]、当時専用機からは生の声明発表ができなかったため、一度ルイジアナ州バークスデール空軍基地に立ち寄り、国民に向けた声明発表を行った。ここでは有事の際に大統領が軍を指揮するために搭乗するE-4B ナイトウォッチも随行していたが、乗り換えはしなかった[110]。

その後、ネブラスカ州オファット空軍基地(E-4B ナイトウォッチが所属する基地)で事態の沈静化を待ち、夕刻にメリーランド州アンドルーズ空軍基地(大統領専用機が所属する基地)経由でワシントンD.C.へ帰還した。専用機は通常、国内でのフライトでは戦闘機の護衛を受けないが、この日のオファット基地からアンドルーズ基地へのフライトでは、国内では初めてゼネラル・ダイナミクスF-16戦闘機の護衛を受けて飛行している。戦闘機は大統領専用機からパイロットの顔が判別できるほどの至近距離を飛行していた[110]。

ホワイトハウスではディック・チェイニー副大統領らが執務を行っていたが、ツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シークレットサービスにつれられて、イーストウィング地下の大統領危機管理センターへ避難した。

ドナルド・ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。ラムズフェルド国防長官にツインタワー「攻撃」の知らせが入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がペンタゴンに向かっていることは知らなかった。また、平時のペンタゴンにはホワイトハウスのような防空装備がない。攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていたため、彼女を抱えて避難し、担架に乗せ救急車が来るまで看病していた。現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。

コリン・パウエル国務長官は、事件当時南米ペルーを実務訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いて、すぐに政府専用機でアメリカ合衆国に帰国した。

なおロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領は、この一報に対し「アメリカ合衆国軍が必要な動員をかけたとしても、直ちにロシア連邦軍に迎撃体制を取らせることはない」とホットラインでブッシュ大統領に告げた。ロシア連邦軍にはアメリカが大規模な動員をかけるとそれに反応するように指揮系統が準備されているためであった。

テロの実行者

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ウサーマ・ビン・ラーディン
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→詳細は「ウサーマ・ビン・ラーディン」を参照

ウサーマ・ビン・ラーディン(1997年撮影)
アメリカ同時多発テロ事件の首謀者は、イスラーム過激派テロ組織「アルカーイダ」の指導者ウサーマ・ビン・ラーディンとされている[111][112][113]。当初、ビン・ラーディンは事件への関与を否定していたが[114]、2004年には一転して同時多発テロ事件への関与を公に認めた[115][116]。

2001年9月16日、アルジャジーラ上でビン・ラーディンによるビデオ声明が放送された[114]。声明の中でビン・ラーディンは、「私は攻撃を実行していないと強調する。攻撃は別の個人によって、彼自身の動機に基づいて実行されたように見える」と述べた[114]。

2001年11月、アメリカ軍はアフガニスタン東部のジャラーラーバードで1本のビデオテープを回収した。このテープにはビン・ラーディンと他のアルカイダ構成員との会話が記録されており、その中でビン・ラーディンは同時多発テロを事前に知っていたことを認めていた[117]。

2004年のアメリカ大統領選挙の直前、ビン・ラーディンは新たなビデオ声明を発表し、アルカイダが同時多発テロ事件に関与したことを公式に認め、自らが実行犯にテロ攻撃を指示したことを認めた[118][119]。

2006年9月にアルジャジーラが入手したビデオテープには、ビン・ラーディンとラムジ・ビン・アル=シブ(英語版)が、2人のハイジャック犯(ハムザ・アル=ガームディー(英語版)およびワイル・アル=シェフリ(英語版))と共に同時多発テロの準備をしている模様が記録されていた[120]。

ビン・ラーディンは、同時多発テロ事件に関してアメリカ政府当局から正式に起訴されたことはなかったが、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの首都ダルエスサラームにおけるアメリカ大使館爆破事件に関する容疑でFBI10大最重要指名手配者に指定されていた[121][122]。

2011年5月2日、約10年間の犯人追跡の末に、アメリカ軍特殊部隊群はパキスタンのアボッターバードに潜伏していたビン・ラーディンを急襲の上で殺害した[123][124]。なお、この時の映像は当時のオバマ大統領ら閣僚に生中継された。

動機
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ウサーマ・ビン・ラーディンが1996年に発表した対アメリカ宣戦布告と、1998年に発表したアメリカ国民の無差別な殺害を呼びかける布告は、ビン・ラーディンの動機を示す証拠として扱われている[125][126]。ビン・ラーディンは、非イスラム教徒がアラビア半島に常駐することは預言者ムハンマドによって禁じられていると解釈しており[127]、湾岸戦争が勃発した1990年8月以降アメリカ軍がサウジアラビアに駐留していることに強い怒りを抱いていた[128]。

1996年8月、ビン・ラーディンは最初の「ファトワー(布告)」を発し、「2つの聖なるモスクの地(サウジアラビア)の占領者」であるアメリカに対するジハード(聖戦)を宣言するとともに、異教徒であるアメリカ人をアラビア半島から駆逐するよう全世界のムスリムに呼びかけた[128]。1998年2月、ビン・ラーディンは第2の「ファトワー」を発し、アメリカ軍によるサウジアラビア駐留へ再度抗議すると共に、アメリカの親イスラエル的な外交政策を批判した[125]。1998年の「ファトワー」はさらに、世界各地でアメリカおよびその同盟国の国民を軍人・民間人の区別なく殺害することが、「占領されているアル=アクサー・モスクとメッカの聖なるモスクを解放」するために、「全ムスリムに課せられた義務である」と宣言していた[125][129]。

ビン・ラーディンは自らの直接的関与を認めた2004年の声明の中で、テロ攻撃を行った動機について以下のように述べた[130]。

1982年、アメリカはイスラエルがレバノンを侵略することを許可し、侵略を助けるためアメリカ第6艦隊を派遣した……レバノンの破壊されたタワーを目にした私の心に、我々も迫害者たちを同じやり方で罰するべきだという考えが浮かんだ。我々はアメリカのタワーを破壊して、我々が体験したものの一端を迫害者たちにも体験させるべきであり、そうすることで彼らが我々の女や子供を殺すのを思いとどまるようにすべきだと考えた[116]。
ハリド・シェイク・モハメド
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→詳細は「ハリド・シェイク・モハメド」を参照

テロの発案者とされるハリド・シェイク・モハメド(画像)は、2003年に逮捕された
アルジャジーラ記者ヨスリ・フォウダ(英語版)の報告によれば、アルカイダ幹部のハリド・シェイク・モハメドは2002年4月に、自らが同時多発テロを計画したことを認めた[131]。モハメドは逮捕された後の2007年にも犯行を自供した[132][133]。

アメリカ議会調査委員会によるアメリカ同時多発テロ事件最終報告書(英語版)は、モハメドを911テロの主たる企画者として紹介しており、彼のアメリカに対する敵意は「イスラエルに好意的なアメリカの外交政策との著しい意見の不一致」に起因すると結論づけた[134]。モハメドは1993年の世界貿易センター爆破事件にも関与しており、主犯ラムジ・ユセフの叔父でもあった[135][136]。モハメドは2003年3月1日にパキスタンのラーワルピンディーで逮捕された。

逮捕後、モハメドは複数のCIA秘密軍事施設とグアンタナモ湾収容キャンプに拘留され、尋問中にウォーターボーディングを含む拷問を受けた[137][138][139]。2007年3月にグアンタナモ湾で行われた聴聞会において、モハメドは自らには「9月11日の作戦について初めから終わりまで全ての責任があった」と証言した上で、この証言は強要の下でなされたものではないと述べた[133][140]。2024年8月1日モハメドら3人の被告らが共謀罪で有罪を認める代わりに死刑ではなく終身刑とする司法取引に応じた[141]。しかし8月2日、ロイド・オースティン米国防長官はこの司法取引を破棄すると発表した[142]。

その他のアルカイダ構成員
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バージニア州東部地区連邦地方裁判所(英語版)がザカリアス・ムサウイの裁判中に使用した資料であるSubstitution for the Testimony of Khalid Sheikh Mohammedは、同時多発テロ計画の全貌を事前に把握していたアルカイダ構成員として、ビン・ラーディン、モハメド、ビン・アル=シブ、ムハンマド・アーティフ、アブ・トゥラ・アル=ウルドゥニ(英語版)の5名を挙げている[143]。

同時多発テロ事件において重要な役割を担ったテロリストの多くは、ドイツのハンブルクに拠点を置くイスラーム過激派集団(通称ハンブルク・セル(英語版))に所属していた[144]。事件当日にハイジャック機のパイロット役を務めたモハメド・アタとマルワン・アル=シェヒ(英語版)およびズィアド・ジャッラーフ(英語版)に、調整役のラムジ・ビン・アル=シブ(英語版)を加えた4人が「ハンブルク・セル」の中心的メンバーであり、彼らはアフガニスタン訪問時にアルカイダ指導部によってテロの実行者に任命されていた[145]。

同時多発テロの計画と実行犯の準備
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モハメド・アタら「ハンブルク・セル」が1998年から2001年まで使用していたハンブルクのアパート
同時多発テロ計画の考案者はハリド・シェイク・モハメドであり、モハメドは1996年に初めて計画をウサーマ・ビン・ラーディンに提示した[146]。当時、ビン・ラーディンとアルカイダはスーダンからアフガニスタンに拠点を移したばかりであり、一種の過渡期にあった[147]。1998年にビン・ラーディンが発した、「アメリカ人の殺害はムスリムの義務である」とする自称「ファトワー」とされたものと、同じく1998年に発生したアメリカ大使館爆破事件は、ビン・ラーディンが攻撃の焦点をアメリカに定めたことを示す一つの転換点となった[148]。

1998年末もしくは1999年の初め頃、ビン・ラーディンはモハメドが同時多発テロ計画の準備に着手することを承認した[149]。1999年春には、モハメドとビン・ラーディン、およびビン・ラーディンの代理人ムハンマド・アーティフが参加する会合が立て続けに開かれた[150]。アーティフは、ターゲットの選定やハイジャック犯のための渡航の手配など、テロ計画の作戦面での支援を提供した[147]。モハメドの提案は一部ビン・ラーディンによって却下され、ロサンゼルスのライブラリータワーのようないくつかのターゲット候補は、「攻撃の準備をするのに必要な時間が不足している」ことを理由に拒否された[151][152]。

ビン・ラーディンはテロ計画の統率と資金援助を担当し、計画を実行するテロリストの選抜にも関与した[153]。当初、ビン・ラーディンはナワフ・アル=ハズミ(英語版)とハリド・アル=ミフダール(英語版)というボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った2人の熟練戦闘員をハイジャック機のパイロット役に任命していた。2000年1月中旬、アル=ハズミとアル=ミフダールはアメリカに到着し、2000年春にはサンディエゴで飛行訓練を受けたが、2人はほとんど英語を話せず、また訓練の成績も悪かったため、最終的にはパイロット役以外のハイジャック犯(武力による制圧要員)としてテロに参加することとなった[154][155]。

1999年後半、モハメド・アタ、マルワン・アル=シェヒ(英語版)、ズィアド・ジャッラーフ(英語版)、ラムジ・ビン・アル=シブ(英語版)らドイツ・ハンブルク在住のイスラーム過激派の一団が、アフガニスタンのアルカーイダ訓練キャンプを訪問した[156]。ビン・ラーディンは、彼らが高い教育を受けており、また英語が堪能で欧米での生活に慣れていることを評価し[157]、テロ計画の中核となる実行メンバーに抜擢した[145]。その後、2000年にはアフガニスタンの訓練キャンプにハニ・ハンジュール(英語版)という新兵が加入した[158]。ハンジュールは1999年にアメリカで職業操縦士免許を取得しており、その事実を知ったアルカーイダは彼をテロ計画に参加させた[158]。

ハンブルク在住のテロリストの内、アル=シェヒは2000年5月末に、アタは2000年6月3日に、ジャッラーフは2000年6月27日に、それぞれアメリカに到着した[158]:6。ビン・アル=シブは渡米のためアメリカのビザを何度も申請したが、イエメン国籍であったため、有効期限を過ぎて不法滞在することへの懸念からビザが発給されなかった[158]:4, 14。ビン・アル=シブは渡米を諦めざるを得ず、ハンブルクに留まってアタとハリド・シェイク・モハメドの間の調整役を務めることとなった[158]。アメリカに渡った3人の「ハンブルク・セル」メンバーはフロリダ州南部の航空学校で飛行訓練を受けた[158]:6。一方、ハニ・ハンジュールは2000年12月8日にサンディエゴに到着し、アル=ハズミと合流した[158]:6?7。2人はその後すぐにアリゾナ州に向かい、ハンジュールはそこで操縦の再訓練を受けた[158]:7。

2001年春には、パイロット役以外のハイジャック犯もアメリカに到着し始めた[159]。2001年7月、アタはスペインでビン・アル=シブと会い、攻撃目標の最終的な選択等、テロ計画の調整を行った。その際、ビン・アル=シブはアタに、ビン・ラーディンができるだけ早いテロ攻撃の実行を望んでいることを伝えた[160]。9月7日には在日アメリカ大使館が「日本国内に滞在するアメリカ人に対してテロ攻撃の可能性がある」ことを発表していた[161]が、アメリカ国内のテロ攻撃の警報は出されないままであった。

実行犯の一覧 
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便 氏名 年齢 国籍
アメリカン航空11便テロ事件 モハメド・アタ 33 エジプトの旗 エジプト
アブドゥルアズィーズ・アル=オマリー(英語版) 22 サウジアラビアの旗 サウジアラビア
ワイル・アル=シェフリ(英語版) 28
ワリード・アル=シェフリ(英語版) 22
サタム・アル=スカミ(英語版) 25
ユナイテッド航空175便テロ事件 マルワーン・アル=シェッヒー 23 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
ファイヤーズ・バニーハンマード(英語版) 24
ムハンド・アル=シャフリー(英語版) 22 サウジアラビアの旗 サウジアラビア
ハムザ・アル=ガームディー(英語版) 20
アフマド・アル=ガームディー(英語版) 22
アメリカン航空77便テロ事件 ハーニー・ハンジュール 29
ハリード・アル=ミンザール(英語版) 26
マージアド・ムーカド(英語版) 24
ナワーフ・アル=ハーズミー(英語版) 25
サリーム・アル=ハーズミー(英語版) 20
ユナイテッド航空93便テロ事件 ズィアド・ジャッラーフ 26 レバノンの旗 レバノン
アフマド・アル=ハズナーウィー(英語版) 20 サウジアラビアの旗 サウジアラビア
アフマド・アル=ナーミー(英語版) 24
サイード・アル=ガームディー(英語版) 21
※太字の人物が操縦者

出典:[162]

報道

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ニューヨークやワシントンには世界中の報道機関が本社・支社・事務局を置いているため、一連の事件は、テレビ・ラジオ・インターネットなどを通じて全世界にリアルタイムで伝えられた。連日、新聞や週刊誌なども最大級の扱いで事件を伝えた。

当日およびその後のテレビ報道はインターネットアーカイブで保存公開されている[163][164]。1機目の激突は、数カ月前から地元消防署の日常を密着取材していたフランスのテレビ局から派遣されていたビデオジャーナリストのノーデ兄弟によって偶然撮影(ガス漏れの通報があり、出動していた消防隊に同行していた)され翌日に報道されている。2機目の旅客機が激突する瞬間は、上記のようにプロやアマチュアを含む多くのカメラマンに撮影されている。

アメリカ国内
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事件の放送を行うアメリカのテレビニュースを見つめるプラハ市民
1機目が突入したニューヨーク時間(アメリカ東部夏時間)8時46分はテレビ各局が朝のニュースショーなどの最中で、CNNは8時49分から、ABC・CBSなど他のテレビ局も8時50分前後から特別報道番組を開始、ロウアー・マンハッタン(WTC所在地)方面を向く情報カメラや報道ヘリコプターが建物の様子を伝え始めた。この時点では「小型機がビルに誤って衝突した事故」と報じるものが多かったが、中継の最中の9時3分、ツインタワー南棟にユナイテッド航空175便が突入した。2機目の突入以降、各テレビ局はテロの可能性が高いと論調を変えることになった。その後、9時30分にブッシュ大統領の演説が各局で中継される。

その後もツインタワーの炎上と崩壊、アメリカン航空77便のペンタゴン攻撃、93便の墜落(報道されたのは墜落してから30分以上たってからだった)など事態が続き、報道は週末の16日(日曜日)深夜まで休むことなく続いた。特にネットワーク3局の夕方ニュースのアンカーは最長で1日17時間にわたって伝え続けた。この週は新番組が始まる時期だったので、軒並み放送が順延され、内容変更を強いられた番組もあった。

また、国外向けの放送局であるCNBC(ヨーロッパ/アジア向け、本部はアメリカ国内)やCNNインターナショナルでも、本来あまり放送されない国内向けの放送を全編放送し続けた。

イギリス
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イギリスは昼過ぎであった。BBCにおいてはテレビ国際放送・BBCワールド(現:BBCワールドニュース)内で速報として13時前に炎上するワールドトレードセンターを映し出したのが第一報であった。13時からのニュース番組を始めた直後、2機目の突入の瞬間を生中継した。トニー・ブレア首相は14時30分頃、出席していたブライトンでの労働組合会議の場で「深い哀悼」の意を伝えた。

日本
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以下、日本における報道については日本時間を使用する。なお、日本時間は現地の時間(アメリカ東部夏時間 (UTC-4))より13時間進んでいる。当時の状況の主軸である世界貿易センタービルへの航空機衝突と崩壊の時刻を太字で示す。なお、日本ではワールドトレードセンター・ツインタワーの名称を「世界貿易センタービル」と報道した。

テロ発生直前の報道内容
2001年9月11日は台風15号と台風16号が前日から関東地方と沖縄を襲って多くの被害をもたらしたほか、9月1日に発生した歌舞伎町ビル火災の原因究明、9月10日に国内で初めて狂牛病疑いのある牛が千葉県で発見されるなど、この日のニュース番組では重大ニュースが多数報道されていた。

2001年9月11日21時46分、1機目のアメリカン航空11便が世界貿易センタービル北棟へ衝突
22時前後、「ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が激突(1機目のアメリカン航空11便)」という情報が各局のニュース番組またはニュース速報[注釈 9]で一斉に伝達された。この時点ではほとんど情報が集まっておらず、詳細な状況は不明であった。

テレビ朝日 (ANN) では、定時の21時54分より「ニュースステーション」の放送を開始した。冒頭からCNNの映像をそのまま放送しており、1機目激突後
    • 1 匿名さん   [2026-09-11 22:37:08]  通報

    ずいぶん長い文章ですね、それで?

    • 2 Xx fk2_LAI pro max xX   [2026-09-11 22:37:30]  通報

    ウィキペディアをすべてコピペするのはやめましょう。ウィキペディアが出典であることを明確に明記しましょう

    • 3 おジャパン+   [2026-09-11 22:37:37]  通報

    コピペとかまじいらん。だからなに

    • 4 おジャパン+   [2026-09-11 22:37:37]  通報

    コピペとかまじいらん。だからなに

    • 5 デスメタル田中(語尾…///3日間) ID:9dc0df87b   [2026-09-11 22:39:22]  通報

    お前達にも教えよう…///。ジレンの〝強さ〟への執着の理由を…///。
    ジレンはある悪党に両親を殺されたんだ…///。
    そして師匠となる男に助けられ一命を取り留めた…///。
    それからジレンは師匠の下で更なる強さと正しい道を極めようとした…///。
    1人、2人、3人…///ジレンの周りには仲間が出来た…///。
    そこに再び奴がやって来た…///。仲間と共に闘った…///。ジレンには勝てる自信があったんだ…///。
    ─────だが奴は強過ぎた…///。ジレンの仲間は次々と殺された…///。
    ジレンの師匠までも奴との戦いで命を落とした…///。
    ジレンは再び立ち上がろうとしたが生き残った門下生に立ち上がる者は居なかった…///。
    力無き者は強者に従うしか無かったのだ…///。ジレンは独りになった…///。
    信頼していた連中に裏切られたジレンの悲しみは計り知れない…///。
    その時痛感したんだ…///。〝信頼など無価値…///〟だと…///。
    それと同時に理解したのさ…///。〝強さこそ正義…///〟〝強さこそ絶対…///〟なのだと…///。
    勝てば周りがついて来る…///。勝利すれば全てが手に入る…///。其処に感情など不要…///。
    俺はそんなジレンの途轍も無い強さへの渇望とその孤独心に惚れたんだ…///。

    • 6 麻婆豆腐 ID:059169b91   [2026-09-11 22:40:54]  通報

    今年で25年

    • 7 まう ID:88174d61c   [2026-09-11 22:44:02]  通報

    スレ主は何が言いたいんよ
    悲惨な事件なのは分かるけど

    • 8 名無しさん   [2026-09-12 05:40:00]  通報

    事件の首謀者ってコト?

    • 9 てきとー   [2026-09-12 07:42:16]  通報

    >8スレ主力持ちすぎやろww

    • 10 デスメタル田中(語尾…///3日間) ID:9dc0df87b   [2026-09-12 08:03:15]  通報

    ビン・ラディンは生きていたのか…///

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