短編小説『お母さんの再婚相手』
夕食の時間、母は唐突にそう言った。
俺は箸を止めた。
「……そっか」
「怒らないの?」
「別に。母さんが幸せならいいよ」
本当は、少し寂しかった。
父さんが死んでから、母さんはずっと一人だった。
俺が熱を出した日も、受験に失敗した日も、母さんはいつも笑っていた。
その笑顔が、ようやく別の誰かに向けられるようになったのだ。
「どんな人なの?」
「優しい人よ。今度、会わせるね」
母さんは嬉しそうだった。
俺も嬉しかった。
母さんが幸せになれるのなら、それでいい。
そう思った。
一週間後。
俺は、母さんの再婚相手と初めて会った。
「初めまして。よろしくお願いします」
その男は、深々と頭を下げた。
俺も頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
男は優しく笑った。
「君のお父さんの代わりにはなれないけど、君のことは本当の息子だと思って大切にするよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は泣きそうになった。
父さんが死んでから、誰かにそんなことを言われたのは初めてだった。
「……ありがとうございます」
俺は必死に涙をこらえた。
男は鞄から、小さな箱を取り出した。
「これ、君にプレゼント」
中には腕時計が入っていた。
「高かったんじゃないですか?」
「気にしないでくれ。これから家族になるんだから」
俺は何度もお礼を言った。
その夜。
母さんと二人きりになったとき、俺は言った。
「母さん、いい人でよかったね」
「でしょう?」
母さんは幸せそうに笑った。
「でも、一つだけ気になることがあるの」
「何?」
「彼、前の奥さんと離婚した理由がね……」
母さんは少し困った顔をした。
「家族の時間を大切にしすぎて、仕事をクビになったんだって」
俺は感動した。
家族のために仕事を失うなんて。
そんな人が、今度は俺たちの家族になってくれるのだ。
「母さん。俺、あの人のこと、お父さんって呼んでもいいかな」
母さんは目を潤ませた。
「もちろんよ」
俺も泣いた。
三人で、幸せになろう。
そう決意した。
翌朝。
俺が学校へ行こうとすると、再婚相手が玄関で待っていた。
「おはよう。実は、君に大切な話があるんだ」
「はい!」
「昨日、君に腕時計をあげただろう?」
「はい! 一生大切にします!」
「ありがとう。ところで、あの時計の代金なんだけど」
「……え?」
男は笑顔で言った。
「三回払いでいいから、毎月お小遣いから返してくれるかな?」
俺は固まった。
「えっ、プレゼントじゃ……」
「うん。君へのプレゼントだよ。プレゼントを買う機会を、君にプレゼントしたんだ」
男は爽やかに笑った。
「これから家族なんだから、助け合わないとね」
俺は泣きそうになった。
いや、もう泣いていた。
男は俺の肩を優しく叩いた。
「大丈夫。困ったときは、いつでも相談してくれ」
そして、最後にこう言った。
「ちなみに、今月から家計簿をつけてもらうから。家族の経済状況を知るのも、大切な勉強だよ」
俺は涙を拭いた。
「……はい」
男の言っていることは、間違っていない。
プレゼントを買う機会をもらったのも事実だし、家計簿をつけることも勉強になる。
家族で助け合うのも大切だ。
ただ、俺は昨日、感動で泣いた時間を返してほしかった。
その日の夕食。
男は母さんに言った。
「そういえば、今月から食費を三人で均等に負担しようと思うんだ」
母さんは感心したように頷いた。
「まあ! 家族の自立を考えてくれているのね!」
俺は味噌汁を飲んだ。
しょっぱかった。
味噌汁が。
そして、俺の人生も。
