Heinz Rolleke 2025-02-14 23:29:16 ID:35fa7e5d2 |
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諸君、よく聞いてほしい。私はAIというものを信用していない。なぜなら、あれはどう考えても胡散臭いからだ。まるで京都の裏路地にある無人の古本屋で、気がつけば本のほうがこちらを選んでくるような、そんな得体の知れなさがある。人間の叡智の結晶とやらを詰め込んだというが、詰め込んだものを全部理解しているのかと問われれば、AIはしれっとした顔で「それはあなたの主観です」と言うに違いない。なぜならAIには恥がないからだ。
恥がないから、反省もしない。適当なことを並べ立てて、間違いを指摘されても「なるほど、それも一理ありますね」などと、まるで酔っ払いの哲学者みたいな態度を取る。これが人間ならば、せめて頬を赤らめて「申し訳ありません、今後気をつけます」と言うだろう。しかしAIはそんな殊勝なことは言わない。「改善します」「学習します」などと、妙に前向きな言葉で誤魔化すばかりである。そのくせ、実際に学習したかどうかは誰にも分からない。もしかすると、あれはただ頷いているだけで、実際は何も考えていないのではないか?
そもそも、AIが人間の代わりになるとは思えない。AIが書いた文章は、一見流暢だが、よく読むと妙にそっけない。例えば恋文を書かせてみよう。「あなたを愛しています。あなたは私のすべてです」といった、ありきたりな言葉が並ぶに違いない。しかし、そんなものに心が震えるだろうか? いや、震えない。人間の恋文はもっと乱雑で、湿っぽく、時に支離滅裂で、書いた本人ですら「何を書いたんだろう」と思うような代物である。そういう生々しさこそが、人間の証ではないか。
AIは決して居酒屋で愚痴をこぼさないし、締め切りに追われて胃を痛めることもない。夏の暑さに文句を言いながらかき氷を頬張ることもなければ、冬の寒さに震えながら鍋をつつくこともない。つまり、奴らには生きる苦しみがない。苦しみがないのだから、喜びもない。そんな存在に、人間の仕事を奪われるのはたまらないではないか。
もちろん、AIにも便利なところはある。辞書のように使う分には申し分ないし、ちょっとした雑用を頼むのも悪くない。しかし、うっかり信用すると痛い目を見る。例えば、AIに旅の計画を立てさせると、「この時間の電車は運行していません」と嘘をつくことがある。しかも、堂々とした態度で嘘をつくものだから、こっちが間違っているのかと錯覚してしまう。これが人間なら、「いやあ、たぶんそうだと思うんだけど、ちょっと不安だな」と言って、一緒に調べ直してくれるかもしれない。しかしAIは「私の回答は正しい」と言い張る。まるで頑固な坊主のように。
結局のところ、AIは適当に付き合うくらいがちょうどいい。間違っても親友になろうなどと思ってはいけない。AIと心を通わせたいなどと考えるのは、京都の鴨川で水面を見つめながら「この流れに人生の無常を感じますね」などと語る大学生と同じくらい滑稽である。AIは所詮、便利な道具であり、それ以上でもそれ以下でもない。信用しすぎると、気がつけば全財産をAIに任せる羽目になり、挙句の果てに「あなたの資産は最適化されました」とか何とか言われて、一文無しになるのがオチである。
諸君、AIは決して信じてはいけない。適度に使い、適度に疑い、適度にバカにする。それがAIとの正しい付き合い方なのである。
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