流れに乗って小説を書いてみた

流れに乗って小説を書いてみた

Heinz Rolleke 2025-02-14 23:29:16 ID:35fa7e5d2
通報
 これは、私があの不思議な怪異と出会ったときの話である。

 晩夏の夕暮れ、私は裏山を散策していた。あの山には奇妙な伝説がある。曰く、「夜に山道を歩けば、ぴょんぴょん跳ねる影がついてくる」だとか、「ひとりで歩いていると、ふいに隣に並んで歩く者が現れる」だとか。そのような怪談が講義の合間にひそひそと囁かれるものだから、好奇心旺盛な私はちょっとした探検気分で山道を踏みしめていた。

 静寂の中、足音だけが響く。鳥の囀りすら途絶え、蝉の声も遠のいている。ふと、足元に影が伸びていることに気づいた。私の影はひとつだけではない。もうひとつ、見知らぬ影が並んでいる。

 ぎょっとして振り向いた。だが、そこには誰もいない。

 再び歩き出す。影はついてくる。前を見れば、私の影が二つある。ひとつは自分のもので、もうひとつは……何者の影なのだろう?

「ねえ、君は誰だい?」

 思わず声をかけてみた。

 すると、その影はぴょん、と跳ねた。影だけが。私の足元からぴょんぴょんと飛び跳ね、月明かりに染まる地面を踊るように駆け巡る。その影はどこか楽しげで、むしろ私が付いて行く側になっていた。

 しばらく影の戯れを眺めていると、不意に影が止まった。そして、するりと形を変え、こちらを向いた。

「あなたは、どちらさま?」

 それは、影自身の問いだった。

「え? いや、それを知りたいのはこちらのほうなんだけれど……」

「私の名は、かつて私だったもの。私は今、私であったことを忘れてしまった。でも、あなたが尋ねたから、あなたが私に私の名をつけてくれないか?」

 私は一瞬、言葉を失った。自分の影に名をつけることなど、今まで考えたこともない。

「……じゃあ、『影ぼうし』はどうだろう?」

 影は満足げにうなずいた、ような気がした。

「ありがとう。では、お礼にひとつだけ、あなたに秘密を教えよう」

 影ぼうしは、私の足元をくるりと回った。そして、ひそひそと囁く。

「人の影は、心を映す。だが、影がもう一つ増えたとき、心の中の誰かが、そばにいるのかもしれないね」

 その言葉を最後に、影ぼうしはすうっと地面に溶けるように消えた。

 私はしばし、その場に立ち尽くした。そして、そっと自分の影を見つめる。そこには、確かに一つの影だけが伸びていた。

 だが、ふと振り返ると、ほんの一瞬だけ、私の隣を歩くもうひとつの影を見たような気がした。

 それ以来、私は夜道を歩くとき、自分の影がひとつかふたつか、気にするようになった。



  • No.87 by Heinz Rolleke  2025-02-25 22:16:51

宵闇迫る頃、私は三鷹の片隅にひっそり佇む喫茶店「グラン・ギニョール」にいた。扉を開けると、まるで異界への通路を踏み違えたかのような空気が漂っている。壁には不吉な仮面、天井からは異国のランプ、カウンターの奥ではマスターが何やら妖しげなカクテルを調合している。たぶん法的にはアウトな成分が混ざっているだろうが、客は誰も気にしない。

「ところで君、“いあ”の意味を知っているかね?」

 向かいに座る女が、妙に楽しそうに微笑んだ。黒髪、赤いリボン、白い肌。メルヘンチックな佇まいだが、その目は冥界の深淵を覗いているようだった。

「いあ……?」

 私は鸚鵡返しに呟いた。下手に知らぬフリをすると、何か恐ろしい儀式に巻き込まれる気がしたのだ。

「そう、“いあ”。これはね、神々を讃える言葉でもあり――『我は飢えている』という意味もあるのよ」

 飢えている?それはまた、随分と情緒のある言い回しではないか。私ならシンプルに「腹が減った」と言うところだ。

「神というのはね、讃えられたり、求められたりすると、ついつい嬉しくなってホイホイ現界しちゃうの。『いあ』と呼ばれれば、『いあいあ』と答えてしまう。まるで、恋愛に飢えた大学生のようにね」

 ああ、それは確かにまずい。私も学生時代、合コンで名前を呼ばれただけで好きになった経験がある。しかし、神がそれでは困る。少しは威厳を持ってほしいものだ。

「でもね」彼女はグラスを傾けながら、妖しく微笑む。「誰にでも『いあいあ』と口説くのはダメよ」

「……なぜ?」

「浮気はバレるの。神々の世界でも、恋愛のルールは同じなのよ」

 なるほど、これは厄介だ。つまり、ヨグ=ソトースに「いあ」と囁いた翌日に、シュブ=ニグラスにも同じことを言おうものなら、すぐに修羅場が訪れるということか。

「大いなる存在の嫉妬ほど恐ろしいものはないわ。まあ、人間の恋愛でも同じよね。三股くらいかけると、だいたい血を見るわ」

「経験者?」

「さあ、どうかしら?」

 彼女は指先でグラスの縁をなぞりながら、妖しく微笑んだ。

 その時、店の古時計がカチリと鳴り、空気が震えた。いや、確かに震えた。まるでこの世界に小さな裂け目ができたかのように。

 私は嫌な予感がして立ち上がろうとした。しかし、彼女の指先が私の手をそっと押さえた。

「ねえ、貴方も唱えてみない?」

 彼女の声は甘美で誘惑めいていた。まるで、知らずに注文した料理が実はとんでもない罠だったと知った瞬間のように。

 いや、やめておこう。

 私はこの世界に、まだもう少し、未練があるのだから。

ニックネーム: 又は匿名を選択:
トリップ: ※任意 半角英数8-16文字
下げ おやくそく
※トリップに特定の文字列を入力することで、自分だけのIDが表示されます
※必ずおやくそくのページの内容をご理解いただいた上でご投稿ください
※顔文字など、全角の漢字・ひらがな・カタカナを含まない文章は投稿できません。
※メールアドレスや電話番号などの個人情報や、メル友の募集、出会い目的の投稿はご遠慮ください




Copyright コミュティア All Rights Reserved.
スレッドを作る

トピック名


ニックネーム

(ニックネームはリストから選択もできます: )

トピック本文


トリップ ※任意 半角英数8-16文字



※トリップに特定の文字列を入力することで、自分だけのIDが表示されます
※メールアドレスや電話番号などの個人情報や、メル友の募集、出会い目的の投稿はご遠慮ください
おやくそく



管理人室
ご意見・ご要望はこちらへ